先日の連絡で
「監督なんぞやってみません」
って連絡があった。もちろんCGのディレクションなんだけど。

小さな会社に籍を置く以上、一人でたくさんの事を役目を担うことは納得だし、そこから得る経験も大きい。
本業のCGに加え、それに付加されるスクリプティング、会社のサーバ管理、加えて力及ばないまでも会社の経営。

でも皆、普通はこれらのいずれかを選択し仕事としていくのモノやん、と先日ふと思った。

生まれでると人はたくさんの選択肢を選びながらその選択の幅を狭めてゆき、何かにたどりつくものなんですか?
それとも経験を積みながらより多くの選択肢を増やしてゆくものなの?

もつれ合った複数の糸の中から自分の糸をほどく作業とその過程。

いつまでたっても、もつれ続ける自分の糸は、ハテこれで良いものだろうか?

とにかく今は「適応し乗り越える」事で精一杯な感じ。
必要とされ仕事をもらっているのか、適当に押しつけらているのかさえも分からない今日この頃。

さて、今年度最後の徹夜、いってみよっ〜。

可能性の未来” への2件のフィードバック

  1. 年とともに体力は減っていく。
    いつまでも「徹夜でしあげました」では通らない。

    同じことをやり続けるのが「伝統」、違うことを模索していくのが「進化」なんて言われているけど、
    結局は同じことをし続けてる人なんていないんじゃない。

    まわりがそれを許さないし。
    勝手に「ある状況」に置かれてしまう。

    自分が望むと望まざるにかかわらずね。

    CGディレクションって面白そうじゃない。
    いつもやっていることと変わんないかも知んないけど。
    外的な目から見て立場がちがうと違うものが見えてくるかも。

    なーんてね。

  2. たくさん役目があっても結局はCGデザイナからみたプログラムにディレクションに経営になるわな。課題はバランスよくこなす事かな。いづれ相乗的な結果になるかもね。

    徹夜脱出したいよなぁ〜。

    問題なのは徹夜の種類。
    「徹夜せなあかんほど自分の技術が追っ付いてない」
    「スケジュールのため止むなく」
    「並行して作業する人間がいない、それに割くもしくは予算がない」
    「徹夜大好き」
    「時間を忘れて、ついつい」

    さて今日は2番目。

    まぁいつも、2、3番目がほとんどか。解決法を考えだすと脳みそ中はループが始まる。
    5番目はありえん。

    >まわりがそれを許さないし。
    そう、5月休むなんて、許されません。違うって?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です